すべての出来事は、ただの出来事

日々

自分のことを好きでいることって難しい。

そんな風に思っている人にはネガティブな自動思考があるかも??

すぐに浮かぶ「自分が悪い」

昔は何かネガティブな出来事が起こった時に、自分がかかわっていると

「私が悪かったんだ…」ってすぐになっていました。

選択肢として「自分が悪い」というものが一番選びやすいところに置いてある感覚です。

だから人から何かを言われたり、人と意見が異なったときに、「自分が悪い」選択肢をすぐに選んでいたのです。

でもそれって本当なのかな?

自然に浮かぶ自動思考

例えば、『自分の言いたいことが、相手にうまく伝わらなかった』とします。

その時に自然に浮かんでくる思考(=自動思考)に従って行動を起こします。

私の場合は…

・自分の言いたいことを相手にうまく伝えられなかった、失敗だ

・やはりコミュニケーションは自分には難しいことなんだ

・自分の言いたいことも満足に伝えられないなんて、ダメだなあ

こんな風なことを考えていました。(ネガティブすぎる!!)

私の場合はネガティブな自動思考が働きやすかったのです。

だからこそ「自分が悪い」という選択肢を選びやすくなっていました。

ネガティブな自動思考が浮かんだときには

まずは『自分の言いたいことが、相手にうまく伝わらなかった』という出来事を、

感情や思考を排除し、事実のみを挙げてみます。

・自分が言いたいことが言えなかった

・相手に伝わらなかった

もしも上記をネガティブに感じ取っている人がいるとしたら…その人は文章に隠れている『できなかった』というニュアンスを感じ取ってくださる繊細な方ですね。

ただ、その『できなかった』は悪いことなのでしょうか?

言いたいことが言えなかったという事実があり、相手には伝わらなかったという事実があるだけなのです。

この事実自体に、良いも悪いもありません。

そう考えると、ここから先の選択肢がとても広がりませんか?

・もう一度、自分の言いたいことが言えるように工夫してみる。

・相手の人に伝わりやすいように工夫してみる。

自動思考で「自分が悪い」と結論づけるとそこで終わってしまいましたが、

その先への広がりを見いだすことができたのです!

すべての出来事は、ただの出来事

生きていたら遭遇する出来事すべて。

その中でも特に人間関係で起こる出来事すべて。

それはただの出来事。

出来事の事実を抽出していくと、その出来事自体には良いも悪いもありませんでした。

良いとか悪いとかを決めようとする自分がいるから「自分が悪い」という思考が生まれることに気が付きました。

今も、「自分が悪い」という選択肢は頭の片隅にあります。

でも、もう、選びやすいところには置いていません。

(調子がよくなかったり、気分が沈んでいるときには急浮上することもありますが)

すべての出来事がただの出来事だからこそ、その出来事によって自分を嫌いになる必要はない。

せっかくなら自分が好き!って言いながら生きていきたい。

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