カンケイの名前

日々

「男と女がいるとその関係に名前を付けないと気が済まない。」

ドラマを観ていた時にこんなセリフに出会った。

そうかもしれない。

私自身はどちらかというと、関係に名前を付けたくないほうだと自分では思っています。

自分と、自分以外の誰かとの関係は、すべて名前も付けられないほどに別々のものを内包していると思っています。

Aさんという人がいて、Aさんと知り合って今に至るまでの間に起こった出来事や抱いた感情は、当然Bさんとの間で起こった出来事や抱いた感情とは別物なはずです。

だから、男だから女だからという乱暴すぎるくくりで、自分とAさん、自分とBさん、の関係に名前を付けたくないと思っています。

とはいえ、

「男と女がいるとその関係に名前を付けないと気が済まない。」というセリフに対し、ひっかかるのは、

その関係につける名前が思い浮かぶからこそ、なのかもしれません。

そのまんま「男女」でも「恋人」でも、はたまた「友達」「パートナー」でも。

他にも「不倫」「協力」「上司部下」なんでもありなんですけど、

多分一番に浮かんできている名前に納得がいってないのでしょうね。

 

私は、私の周りの大切な人たちと作り上げる関係がそれぞれオリジナルだと思っています。

もちろん、「同僚」とか「友達」とか「恋人」とか周囲から見た時にわかりやすい名前はついています。

でも、どの関係もその名前を超えた関係なのです。

 

私自身がときどき、その関係性の名前にとらわれていまうこともあります。

「友達」だからこうでなくては。

「恋人」なのに。

「夫婦」というのはこういうもの。

みたいなね。

 

関係に名前を付けることは、わかりやすく伝えるためには必要なことかもしれませんが、

自分と相手との間のオリジナリティを大事にしたいなと思いました。

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